カマクラ子育て日記

子どもの言葉、季節の移り変わりを忘備録として

今日のできごと003

半夏生

 

日付も変わる夜中の雨上がり、ホッホッとアオバズクのさえずりが聞こえる。

いかにも古びた洋館に棲みついた魔法の世界の住人というような、何か日常的ではないことが起きる扉が開かれたことを告げるような、そんなイメージにぴったりの声だ。

夜、地面や葉の上で鳴く虫たちも少しずつ現れ始めたようで、鳴き声でその存在を知らせてくれる。

目には見えないけれど地面の上にも、木の上にも生き物たちの暮らしが確かにある。

 

日中は滑川でコバルトブルーに輝く美しいカワセミが魚を取るのを見た。

日常で悲しみを感じた日には、自然の神秘、美しさが心の渇きにじわじわと潤いをもたらすのを感じる。心は、少しでも潤いとしなやかさを取り戻す必要がある。

誰でも、悲しみを船に乗せ、ともに旅をしているのだ。

今日のできごと002

今日は八幡宮へ茅の輪くぐりに出かける。

源平池ではたくさんの蓮のつぼみが、大きな丸い葉の間からさらに空に向かって伸びている。蓮の葉の森は、源平池に暮らす魚や亀などの生き物を暑い日差しから守るために鬱蒼としげっているようにも見える。風に揺れ、葉をはためかせる様子は涼しげで美しい。

かまくら子ども風土記 上』によれば

この池は、源頼朝平氏を滅ぼそうとした一一八二年(寿永元年)四月に頼朝夫人の政子が、大庭景義や専光坊に命じて掘らせたと伝えられる、放生池(仏教の教えにより、捕らえられた生物を放す儀式を行うための池)と考えられます。

とのことである。

神仏混淆の歴史を思う。ビャクシンやイチョウ等の植物が神社の中にあるのも、その名残だという。今では日本の風景にすっかり溶け込んでいる樹木も、当時の鎌倉ではたいへん珍しく貴重なものであったことを想像すると、かつての日本にはどのような原風景が広がっていたのだろう・・・。海を渡った小さな苗木たちは、今もこの地に生きている。蓮やイチョウ、ビャクシンを見ていると、やはりどこか異国の情緒が漂っているような気がしてしまう。

源平池の蓮の葉の上に亀が乗り、休憩しているのを見て「いいなー蓮の葉に乗りたいな」と子はつぶやく。

時折ぱらつく小雨の中で、茅の輪をくぐり帰宅する。

今日の海003

気温 24.4℃

風向 南

風速 3.1m

菖蒲華

 

滑川の水量は少なく、流れがあまりみられないせいか緑色に色づいてみえる。風は涼しくひんやりと感じる。

穏やかな海。マリンスポーツを楽しむ人たちはまばらで、しかも随分沖の方にいる。

潮が引いた広い砂浜。太陽は雲の中に隠れてぼんやりと光を蓄える。

遠目に浜をみて、滑川を中心に材木座側にも由比ガ浜側にも、黒い塊が浜辺のあちらこちらに積みあがっている。なんだろうと近づいてみると、どっさりと褐藻が打ち上げられている。おそらく食べられるワカメだろう。

 

干潟となった砂浜に降り立つと、見たことがないくらいおびただしい穴、穴、穴。

穴の周囲は、小さな砂山となっており、足元に広がる小さな火山が時折ちょろちょろと水を吹き出す様子もみられる。穴の底で、ゴカイ達が水を吸い込んだり吐き出して、絶え間なく砂浜の清掃活動を行っていることを思う。しかし、これだけの干潟があるにも関わらず、水鳥達の訪問はまったくといっていいほどない。上空を孤を描きながら、人の様子を観察しているトビがちらほらみられるのみ。少し前の時期には、コチドリが波打ち際を駆ける姿がみられたため、渡りの季節にまた期待したい。

子どもは私が干潟につけた足跡をたどりながら、「2匹のアリの行列」「フェロモンをたどっているんだよ」とぶつぶつ話している。

 

活動し始めたモミジガイが、波に乗ってやってくる。

水のあるところから活動とともに打ち上げられてしまったのか、砂浜の下から這い出てきたのか、どちらなんだろうと思いつつも、波間のできるだけ沖の方に投げて海に返してやる。

 

和賀江島では小学校高学年くらいの子ども達がつかまえたカニを地面に投げつけている。「ヒロシ」など名前までつけているのに、随分な仕打ちだ。

ボラの稚魚たちが群れを作ってすいすいと丸石の間を縫って泳いでいく。エビは潮の流れにたゆたう。忍者のような非常な早さで丸石の影から影へ移動するのはボラのなかま。ヤドカリたちはいつでも隠れられる便利なテントを背負って所かまわず移動していく。

和賀江島のあたりでは、紅藻の打ち上げが目立つ。トサカノリだろうか。ユカリかな、というものもあり。ここは丸石の洲が防波堤になっているため、潮が引いている時間帯には波がなくちゃぽん、ちゃぽん、と時折静かに水が石にぶつかる音が聞こえるのみである。洲を通り過ぎると、また波が生まれる。波の子どもは嬉しそうにあぶくを小さく立てながら打ち寄せてくる。

豆腐川よりも由比ガ浜よりに、ミル。キタマクラと思われる魚の打ち上げ。

子どもは波打ち際で水につかって身動きが取れなくなっていたゴマダラカミキリを飼い始めた。帰宅すると、初蝉の声を聞く。

 

 

 

 

今日の海002

気温 25.8℃

風速 6.1m

風向 南南西

 

からしっかりと降っていた雨、午後になると雨足が弱まった。

長靴を履いて梅雨の海へ。湿度の高さのせいで、街を少し歩くだけでも全身汗ばむ。

街のツバメはまだ子育てをしている。おそらく時期的にもう2度目だろう。「かわいい声だね」。

海の近くまで歩いて行くと潮風が体を冷やし、快適に過ごせることに気が付く。

お休みの日らしく、海はサーフィンを楽しむ人で大変にぎわっている。

先日、橋脚だけであった由比ガ浜材木座をつなぐ橋は、完成していたがまだ渡れないようにコーンが置かれている。

 

今日の波は、横に長く続く。すぐに後から来る波に覆いかぶさられるような波でなく、

次の波がやってくるまでに少し間があるし、とにかく波の横方向の距離が長い。

そして、海岸線に広がる木材ごみが多い。竹や小枝、海藻などが絡み合ったかさ張るごみ。

いきものの痕跡を探す。ツメタガイの卵塊が3~5個。ミズナギドリ落鳥2羽。褐藻に産み付けられたアオリイカの卵。卵をつぶして遊んでいた子どもが、中に入っている数ミリのイカの赤ちゃんを見せてくれた。初めて見るアオリイカの卵、白く透き通った枝豆のようだった。つるつるして、弾力がありそうだ。「さわってもいい?」

波打ち際のおびただしい数のフジノハナガイは慌てて砂の中に潜っていく。波がひいたあとの砂には小さな穴からポコポコと空気の泡が上がってくる。それを見ていると、確かにこの下に生き物たちがひっそりと暮らしていることを思う。「海とおにごっこ!」おにごっこは海が勝ち、長靴の中に海水が入り込んで靴の中は砂だらけになる。

豆腐川のあたりまで来ると、明らかに波打ち際にホンダワラ科の褐藻が増える。豆腐川より逗子よりには、ウミウチワ。可愛らしい扇の形は、一度見たら忘れない。

帰りには少しずつ潮が満ちて、波打ち際にちょっとしたプールのように潮がたまり、波に乗ってやってきた大きな魚の背びれが必死に沖へ戻ろうと、水しぶきをあげているのが見える。

波は乳白色の西の空を映して輝く。風に背中を押されながら、海を後にする。

 

 

 

 

今日のできごと001

夏至も過ぎたというのに、まだ鳴いている鶯がいる。しかも、1羽どころではない。

扇川のホタルはどうだろう、先週はまだ見られたが、今夜もその魂をちらつかせているだろうか。ふわふわと飛ぶ姿は儚く、生の終わりを予感させるかすかな光である。

 

今日は子ども科学電話相談でもおなじみ、日本初の恐竜博士号を取得された小林快次教授のお話を聞いた。

道なき道を開拓してきた先人の話は、一味違っている。自信と力に満ち溢れ、見る人、聞く人を魅了する。これほどまでに知性の神に愛され、守られた人をこれまでに見たことがない。開拓者特有の不安や恐怖を乗り越えたであろう、そしてこれだけの偉業を達成してきたにも関わらず、童心を大事に抱えている。教授のお話が視聴者を、恐竜時代への時間旅行へ案内する。アラスカやモンゴル、アメリカ等の世界の国々へも一気に駆け抜ける。

教授にとっては時間も空間も関係なく、また人類本位でもなく、地球に生きる一人の人間として、今できることを、人生を、全うされているということが伝わってくる。そして話をしながらも、好き放題に発言する子ども達への敬意もある。本日は気候変動を考える講演であったため、「絶滅してしまった恐竜から人類へのメッセージ」と講演のさいごを締めくくるそのセンスにも圧倒された。

人はモノを考え、環境をよりよくしていくことができるはず。しかし、小林教授によれば、『人間は地球の環境を4割以上変えてきている』とのことで、自分自身の行動一つ一つがなにをもたらすのか、大げさではない。これから子どもと一緒に一日一日考えて過ごすことを大事にしたいと思った。

アーカイブ配信もあるようだが、申込者限定というのが残念。

より多くの人に小林教授の講演を聞いてほしいと思う。

今日の海001

気温 24℃

風速 7.3m

風向 南

 

太陽は雲で覆われ、涼しさを感じつつもじっとりとした空気。つよい潮風でメガネが曇ってしまう。 

滑川に、夏の間は由比ガ浜材木座をつなぐ橋が架けられるのだが、その橋脚が川に等間隔に並んでいる。橋部分はこれからのようだ。「どうやって川の中に立てたのかな?」と子は不思議そうに滑川橋から眺める。海の家を組み立てている大工さんを見て、「わあ、はだかんぼう!」と笑顔をみせる。

滑川橋を渡ってすぐの国道から海岸へ降りる階段を下りる。波打ち際から遠い場所では砂が舞い、目に入らぬよう気を付けて海へと近づいていく。

波はしぶきをあげて、波間に海藻が揺れるのをちらつかせながら、打ち寄せる。「波があるから海があるんだよ」と、子はつぶやく。「どうして、潮は満ちたり引いたりするんだろう?」。覆いかぶさるように、小さな波を後からきた大きな波が飲み込んでいく。沖の方では、ウインドサーフィンを楽しむ人たちが水の上を軽やかに滑っていくようにみえる。浜にはたくさんのアマモやコンブが打ち上げられている。コンブの根元部分から根こそぎ引っぺがされて浜に打ち上げられた様子は、海底のうねりが力強いことを物語っている。逗子の方向に向かって歩いて行くと、アマモは材木座テラスのあたりまで広がる。アマモ以外にも、ヒジキと思われる褐藻もみられるが、海藻のことはよくわからない。

漂着種子も多い。わかりやすいものではドングリや、クルミ。ほとんどが真っ黒であり「なんで黒くなっちゃうんだろう?」と海がもたらすモノの変化、その不思議を子は感じているようだ。打ち上げられた流木も、黒くなっているものが多い。本日は緑や赤のトマトの打ち上げも多くあり、波の中で顔だけ出して漂ったり、背中からダイブしたりしてパンツ一丁で遊ぶ子ども達は、海から上がってトマトを見つけるやいなや、ヘタ部分をつまんで「トメイト~ゥ」と走り回っていた。

軽石の漂着もちらほら。エボシガイがびっしりとついているかなり大きめの軽石もあった。

珍しいものでは、尾の方を何かに捕食され、おそらく元の長さの半分くらいになってしまったウツボの漂着。ミズナギドリ科の落鳥が5~6羽。カツオノエボシも一匹。

子どもの方は、浮きの漂着に興味を示している。腰をかけられるほど大きなもの、手のひらに収まるくらいの小さなもの。

帰り路、若宮大路を歩いていると一本のハマユウが楚々として咲いているのを見つける。由比ガ浜海岸から一の鳥居まで、若い松が街路樹としてまっすぐ道沿いに植えられているが、現在は民家やマンションとなっている敷地の中に、点在する古く高さのある松もある。一の鳥居あたりでは明らかに樹齢が古そうな大木が何本か並び、畠山重保の墓が建てられた時代から、その墓を守ってきたのではないか、あるいはその墓を守るために、後世の人が植樹したことを想像しながら通り過ぎる。

日が傾き、東の空も薄赤く染まってきた頃に帰宅。