カマクラ子育て日記

子どもの言葉、季節の移り変わりを忘備録として

今日のできごと007

巨大恐竜展へ。

パシフィコ横浜へは就活説明会でしか来たことがなく、新鮮だった。

前回、六本木の恐竜科学博へ行った際にも感じたことだが、博物館でやっている恐竜展とはやや客層の違った展示会だ。場所的にも買い物ついでにも来られるというか(ついでにしては安くはないチケット)。しかし、学問的な点でも満足感は十分。

特に大英自然史博物館の、メインゾーンでのエンタメ性が高く、幼児でも実際に展示に触れながら楽しく展示を見て回れると思った。

「この(サルタサウルスの大腿)骨、ノート4冊分あるわ」

「パタゴティタンの心臓が送る1回の血液の量は65Lなんだって!」

バートンの絵を彷彿させる、パタゴティタン会場全体のイラストも、海外の博物館に来たかのような高揚感をうみだしていた。

大英自然史博物館に行ってみたい!と思うには十分に魅力的な展示方法だった。

パタゴティタンは、その頭骨のフォルムの愛らしさが特筆すべき点だったと思う。

しかし帰って図録で確認すると(展示にも書いてあったのかもしれないが)、

パタゴティタンの頭骨は発見されていないので、この頭骨は同じティタノサウルス類のサルミエントサウルスをベースに制作されたものです。

 

巨大恐竜展 Giant Dinosaurs 2024. 読売新聞社. p.72

とのことだった。

気に入ったのは、パタゴティタンの歯(しかしこれも図録によれば未発見であり、サルミエントサウルスの歯だろう)に触れる展示。

「エンピツ型の歯だね」

「さわれる展示結構あってたのしかった」

展示説明には楔形の歯、と書かれており、個人的には聞きなじみのあるエンピツ型よりもしっくりと来る説明だった(図録には楔とは書かれておらず、エンピツ型の記載だった)。粘土板に押し付けたら、そのまま楔形文字が書けそうな歯だ。

へぇと思ったのは、パタゴティタンの後ろ足には趾骨があるのに、前足には指骨がなかったこと。図録を見ると、原始的な竜脚形類と考えられるアンテトニトルスには指骨があるようだ。二足歩行から四足歩行へ移行する過程で、指骨は退化していったのだろうか。

しかし、同じ四足歩行の角竜類には指骨はありそうだ。現生のサイにもありそう。

この違いは?重さ?スピード?途方もない年月を生きた種だけが持つ特徴?

自分の手をまじまじと見る。恐竜の前足に比べるとなんて自由に動くのだろう、素晴らしいセンサーとして環境を捉えているのだろう、と、当たり前ながら思う。進化によって人間が受けた恩恵は、手を自由自在に使えること、そしてより人間らしくあるために、手の感覚を洗練させることが大切な課題であることを改めて思う。

「もう1回エサあげていい?」

子どもはバロサウルスの復元ロボットの餌やり体験を気にいっていた。

 

現代の大型動物を守ること、が大英自然史博物館のパタゴティタン展を通してのメッセージであったようだ。

加えて日本巡回展では海の豊かさを守る、陸の豊かさも守る、というSDGsの観点も大切であることが、展示の最後に書かれていた。

展示をみたあと、コンビニでお菓子を買って食べ、その後出たゴミを分別して捨てた。何気ないことだが、お菓子のパッケージには、「プラ」のマークが入っているんだよ、という話をし、ゴミの分別につながる知を共有する良いきっかけとなった。大型動物を守り、海や陸の豊かさを守るために子どもとまずできることは、ゴミを減らすことだろう。いわゆる3Rは意識していたいと思う。

 

さいごに、残念だったのが、大英自然史博物館オリジナルグッズの販売がなかったこと。

限定チケットで、大英自然史博物館グッズ付きチケットというのがあったので、てっきりあるものかと思っていたが(それとも早々に売り切れてしまったのだろうか)。

子どもはキーホルダーとペン、自分用には図録を購入し、帰宅。

今日の海006

8/19の記録

気温 33℃

風向 南南東

風速 1.9m

潮汐 16cm(大潮)

 

和賀江島へ。

昼前に干潮。磯遊び日和だなとは感じたものの、暑さのせいもあるのか人出は少なめ。

地元の子ども達がちらほら遊びに来ているという具合。

 

陸続きになった和賀江島を、ぽつんと立つ石碑のあたりまで渡る。

何か書いてあるのかと思い行って見てみたが、何も書いていなかった。

実際に歩いてみるのと、遠目に見るのとでは大きく違うのだと実感した。

島の方まで行くと、浅瀬にいるヤドカリとは種類が変わる。

太陽の光を受けて青くみえるヤドカリがとても綺麗だった。

褐藻にくっつき、せっせと食事をする姿をみて「海のおそうじやさんだね」。

想像以上に重労働の島渡りだった。かなり汗もかき、潮が満ちてくるのは早いので、のんびりとは戻っていられないというのもあった。

島の玉石は素人目にも、溶岩だなとわかるものだった。

 

タイドプールでは、アゴハゼ、トゲチョウチョウウオ、カニやエビを捕まえる。

とにかくムラサキウニが多い。これまでの傾向がわからないので、何とも言えないが、磯焼けなのだろうか。

驚いたのは、クモヒトデの移動の早さ。同じ石の下に4~5匹のクモヒトデがまとまっていたのだが、ウネウネと動きつつもしっかり他の石の下に潜り込んでいく早さは、その不思議な形からは想像できなかった。

子どもたちが「めちゃ早い魚」と呼んで捕まえたがり、とにかく数が多かったのはコトヒキ。水面から見ているとその美しい縦縞がすーと流れるように動く様子につい見とれてしまうが、とにかく素早い。

波打ち際の砂の中から砂の中へと忍者のように移動しているカニがいた。その砂に潜りこもうとする瞬間のカニをめがけてコトヒキが攻撃する。1匹がカニを引きずり出すと、アッというまに群れで取り囲む。獰猛なハンターのような魚だ、とまじまじ観察していた。波打ち際に群れなしてやってきているのには、それなりの理由があるのだなと納得する。

 

磯の観察の面白さを子どもと実感する。

次回はヤドカリと、タカラガイ(ネット情報では、生きたタカラガイが和賀江島にはいるようだ)を中心に観察できたらと思う。

今日のできごと006

7月25日以降、海に行っていない。

その日の記録もない。

言い訳にはなるが、家族総出で風邪を引き、長引いていた。

大事な仕事も重なっていた。久しぶりにゆっくりとパソコンの前にいる。

今日はペルセウス座流星群が極大となるらしいので、これを書いたら少し外に出てみようと思う。

すべてのいのちの安寧を願って。

 

一寸の虫にも五分の魂ということわざがある。

一寸とは3cmほど、五分とは1.5cmほどを意味するらしい。

虫の魂は体の大きさの半分しかないのか。

タマムシという美しい宝石のような虫がいて、ちょうど3cmほど。

エノキの葉を食べる。インターネット上で、サクラの葉も食べるという情報があり、与えてみたが食べなかった。エノキの葉を見つけてきた頃には、すでに葉を食べる力はなかった。

もともと、何かに食べられたのか、足が一部もげ、体もへしゃげていたタマムシではあったが、たった2日で死んでしまった。「もう少し早くエノキを見つけていたら」と、日々の生活を優先し、虫のいのちを軽視したことを悔やむ。もっと気にかけているべきだった。

足が動かなくなり、触覚が体に沿って閉じ、その後産卵管か生殖器かわからないが、最後まで何か別の生き物のように動いていて、じっと見ていた。

いのちを繋ごうと、懸命に生きようとしたタマムシの魂を見送った。

 

私たちの本質は、いのちを繋ぐことなのだと、何かで読んだ。

くさりの一部である自分自身は、小さな虫たちの輪も、大きな哺乳動物の輪も、同じ空間と時間に存在する重なり合い、絡み合う輪であって、それぞれ長い生命の歴史を繋いできた仲間である、同じであると感じることがある。

子育て中の母というのは、そういう生き物同士の原始的な重なり、共通点を感じやすいと思う。

今夜はタマムシを思い、星を見上げたい。悔いのないように生きることを願う。

今日のできごと005

海の日の記録。

横浜のヤマハミュージックへ。

大人も子どもも、音楽を楽しめる空間。

1階は自動演奏のヴァイオリン、ヴィオラ、チェロに触れて。2階はショールームではあるものの、管弦楽器、ピアノに自由に触れて音を自分で出すことができる。ただし、管楽器の体験は当日予約でアッというまに予約が埋まっていった。ピアノ以外の楽器はなかなか直接触れることすら難しかったこれまでの常識を覆したな、と思った。ヤマハの音楽への情熱を感じた。

同じ敷地内にあったヤマハのe-Bikeを体験できるヤマハイーライドベースも行ってみた。こちらは静岡のアンテナショップも兼ねている様子。無料で新茶の提供、うなぎパイの春華堂が作ったサブレの提供があり、休憩処となっている。

音楽だけではない、ヤマハという企業の力を思い知った日だった。

 

この日、横浜では日中、アブラゼミとミンミンゼミが鳴いていた。

鎌倉では夕方、アブラゼミとヒグラシ。

梅雨の晴れ間に鳴き始めたヒグラシ。老鴬は、梅雨も明けたが、まだ鳴いている。

今日の海005

7/12

気温 24.3℃

風向 北

風速 1.1m

潮汐 76cm(小潮)

 

7/11

気温 26.5℃

風向 南西

風速 3.1m

潮汐 84cm(中潮)

 

今日(7/12)と、昨日(7/11)の海。

6月からつけ始めた記録の上では北向きの風は初めて。今日は初めて馬の歯を拾う。

由比ガ浜・材木座海岸で漂着する馬の歯は鎌倉時代~江戸時代にかけてのものと言われている。今回拾った歯は私の親指の爪ほどの大きさで、かなり小さく感じる。実際に見たことはないが、馬の歯とも、まだ断定できないような気もする。

横浜の馬の博物館に行けば、何か資料になるものがあるかと思ったが、ちょうど休館に入っているようだ。残念・・・。

中世の馬は小型~中型であったようで、

関東産馬を主体とし、甲斐、信濃等の産馬を含むと考えられる。

四肢骨から馬の体高を推定すると、109~140cm、平均129.477±1.098cmとなり、主体は先史時代の中形馬であるが、また先史時代の小型馬も存し、なお両者の交雑による馬も含まれていると考える。

 

林田重幸. 中世日本の馬について. 日畜会報. 1957, 28, (5), p.301-306

と考察されていることから、歯も小さいことは予測されるが・・・。

もう少し書籍などで詳しく調べて、またブログに書いて置けたらと思う。

 

その他は、昨日はカツオノエボシの漂着が大量にあったこと。

大きく立派な気泡体は、透き通った藍色の中に紫色や桃色、黄色が混じって大変美しい。形は餃子そのもの。よく見ると気泡体はウネウネと動いており、打ち上げられてしまった非常事態に対して大海へ戻ろう、戻ろうという意思を感じる。生きていることがわかったので試しに波に浮かべてみると、なんと船で漕ぎ出す時のように、引き潮では波に垂直に向かっていく。しかし結局、波の方が強く、くるくると回りながらまた元の浜辺に打ち上げられる。

調べてみると、触手だと思っていた部分はその役割から栄養、生殖、感触と細分化できるようだ。

www.enosui.com

夏~秋の湘南の海に救急車が来ていると、この黒潮に乗ってやってきた小さな航海者の仕業かもしれないと思う。

 

そして今日はカツオノエボシの代わりにカツオノカンムリがちらほら。

航海者というと、カツオノカンムリの方がよりしっくりくるのだが、それは盤の上のヨットのセイルのような部分を持つせいだと思う。こちらは年輪のような盤も美しい。

大風の日にはカツオノエボシ、大風の次の日はカツオノカンムリ、というような、漂着の時間差も気になる、美しい航海者たちを思いつつ、雨が降り出す中帰宅。

「子どもは雨なんて全然へっちゃらなんだよ。傘さすように言われるから、大人のために、さすだけ」

今日のできごと004

小暑

 

七夕の日はインターメディアテク、

今日は鎌倉文華館 鶴岡ミュージアムへ。

昨日、今日ととんでもない酷暑が続いている。梅雨はどこへ行った。

本当に、そう遠くないうちに人類は絶滅するのかもしれないとふと思う。

 

インターメディアテクでは、特別展を見る。

しばらく来ない間に、写真撮影が可能になったらしい。

記念すべき最初の一枚は、特別展の入り口にいたマチカネワニと。

特別展では、原人の食べていたカワニナの山をみて「原始人ってホタルだったんだー」。土器や櫂、釣り針や蓑笠など、思ったより色々なものに興味を示している。3万年~1万年前の日本人の暮らしは、おしゃれや旬の食材を楽しみ、男も女も、本質的な部分では大して変わっていないのだと感じた。

常設展では、エクアドル大使館から贈られたという世界最古のカカオ飲食の痕跡の残る古代土器をみて、「ダイブツみたい」。最も子どもが釘付けになっていたのは古代エジプトのミイラで、写真撮影禁止なのを大変悔しがっていた。展示説明によると、国内で、ミイラと棺がセットになっているのは唯一ここだけらしい。やや埃っぽい展示ではあるが、5000年の時を超えてきているのだから、埃っぽくて当然といえば当然である。

 

鎌倉文華館は初めての訪問。

大人の拝観料1500円は、近頃の物価の高さを鑑みると仕方ない。規模は違えど、国立科学博物館でさえ、特別展の入場料は2000円を超える。話題のモネ&フレンズは3000円。考えさせられる。

眼、耳、鼻、手で虫を感じる。貴重な標本を下敷きに、絵を描くスペースが用意されている。虫を観察して描いているとき、もうこのへんでいいかなと、甘えた気持ちが揺れ動くのを感じる。いやいや、ここまできたら頑張ろうよという自分を奮い立たせる方の気持ちがなんとか勝つ。般若心経を書く時もこんな感じかとふと思った。諦めずに描いていると、蝶の羽のぱっと見ではわからない優美さ、鳳凰の尾のような柄が小さな羽の中に閉じ込められているのを発見し、静かに喜びを感じる。

養老先生の『子どもにこういう風になってほしいと思わないこと』という言葉をおみやげに、帰路につく。

 

 

今日の海004

気温 27.1℃

風向 南南西

風速 2.8m

 

昨日(7/2)の記録。

国道134号線沿いにノアサガオが咲いている。その堂々とした濃い紫色は、日照りに強い植物の季節がやってきたことを感じさせる。

 

由比ガ浜と材木座を繋ぐ滑川の橋は、すでにコーンが取り払われた。海の家もちらほら営業を開始しているが、海水浴客の方もまばらで、週末からが勝負というような雰囲気だ。以前から海岸に流れ着いたままになっている木材の山を業者の方が撤去している。

 

久しぶりに、太陽の光を浴びて透明度の高い波打ち際を歩く。

和賀江島までやってくると、この日は褐藻(カジメ?)の打ち上げが目立つ。

小さな波が生まれるのを静かに見つめる。材木座の海岸全体では泡立つ大きな波、和賀江島のあたりは滑らかで小さな波。白瑠璃碗を思い出す。切子の美しさが、波の形と重なり、その碗が世界の海にあることを思う。ひとつひとつの切子に空が映り込み、輝いている海岸を、ここではないどこかに探しに行きたい気持ちだ。

梅雨とは思えない暑さだ。背中に滝のように汗をかきながら、帰宅する。